• 源流釣行①目的地

    ・・・2023年09月11日更新

    果たして花屋のブログにふさわしいエントリーかというと甚だ疑問ですが、「最近は魚釣り行ってんの?」というお客様からのご質問に対し、丁寧に回答をということでお許しください。

     

     

    古くは1180年、平氏討伐の「治承の乱」に敗れた不遇の皇子、高倉宮逃亡伝説が残る峠が歴史的に一躍脚光を浴びたのは、戊辰戦争で河井継之助が深傷を負いながら敗走したという記録ではなかろうか?

     

    越後と南会津の間に立ちはだかるこの峠道は、実際には30kmくらいなのだろうが、その険しさゆえに10倍もの距離に感じることから「八十里越」と呼ばれている。

     

    けもの道ながらもこの八十里越を利用して、南会津地域では、海産物や食塩、鉄製品などの生活用品を越後から移入し、南会津からは繊維原料、林産物、労働力などを越後へ送り出してたそうです。

     

    しかし大正に入って現在の磐越西線が開通し、鉄道輸送が盛んになると、この不便なけもの道は一気に衰退していき、このまま廃道かと思われましたが、戦後まもなく日本中の道路網建設が叫ばれ始め、日本海と太平洋を結ぶ幹線道路の一つとしてこのけもの道が見つめ直され、昭和44年に閣議決定、昭和61年にようやく「車が通れる道路」としての建設がスタートしました。

     

    当時の地元の方が工事業者に「完成までに何年かかる?」と聞いたところ「10年かかる」と言われたそうですが、10年経っても一向に工事が終わらないので「あと何年かかる?」と聞くと「あと10年かかる」と言われたという話は、もはや笑い話です。

    それからさらに月日は流れ、着工からすでに37年が経過し、最新の予定では2026年開通という事ですが、おそらく「あと10年はかかる」というのが地元の見立てです(笑)

     

    さて前置きが長くなりましたが、このたび入渓する沢は、まさにこの建設中の道路からであって、当然のことながら一般車両では立ち入れません。

    ではどのようにして行くのかというと・・・

    なんと民宿の方に送ってもらうのです(驚)

    つづく